タンパク質中のD-アミノ酸の生成と老化現象との関連について
D−アミノ酸から見た老化の研究ー21世紀の老化研究への足がかり

目的

タンパク質の変性を有機化学的・生化学的な見地と手法から解明し、 治療や生命の起源や老化の謎に挑んでいこうと考えています。

概要

タンパク質中のD-アミノ酸の生成と老化現象との関連について

ヒトの眼の水晶体やでは老化に伴ってその主要成分であるαークリスタリン中に部位 特異的に本来存在しないはずのD-アスパラギン酸、βーアスパラギン酸が生成されま す(ラセミ化、反転、異性化反応)。私たちの研究室ではこのような生成反応がタン パク質の高次構造に影響を与え、不溶化、凝集を招き水晶体白濁の一因になると考 え、反応機構の解明及び、反応を創出する場の制御を目指し白内障治療への手がかり を探っています。また、最近は老化した皮膚にも水晶体と同様にD-アスパラギン酸、 βーアスパラギン酸が存在していることを発見し、特に紫外線被爆部に顕著にこの反 応が生じることが明らかとなりました。D-βーアスパラギン酸を環境ストレスマーカ ーとして、紫外線被爆の問題にも取り組んでいきたいと考えています。

D−アミノ酸から見た老化の研究ー21世紀の老化研究への足がかり

我々の日常生活には対称と非対称、右と左の問題が至る所に存在しています。西洋の 庭園、建築物、フラワーアレンジメント等を見ると対称的なものが多く西洋人は対称 性に美を求めていることがわかりますが、日本の庭園、建築物、生け花では非対称を 好む傾向があるようです。自然は非対称な世界ですから、日本人は自然に近い美を良 しとするともいえます。自然界は左右非対称なものが多く、例えば巻き貝のうず巻 き、アサガオの蔓(右巻き)、蛇の蜷などがその良い例と言えましょう。我々人間の 顔も右半分と左半分は微妙に異なりますし、脳では左半球が右半球より大きく左右の 機能が異なっています。卑近のところでは手足の利き手、利き足があります。ミクロ な世界でも左と右の世界が存在しているのです。
例えば生物の体を構成するアミノ酸 という分子にも左右があります。アミノ酸を化学的に合成すると左手構造と右手構造 が1:1の割合で合成されます。左手に対応するL-アミノ酸と右手に対応するD-ア ミノ酸は光学的性質が異なる以外はすべての物理化学的性質は等しく、これらは光学 異性体といわれています。しかし地球上の生物はなぜかL-アミノ酸だけを選択し、 D-アミノ酸を排除して生命活動を営んできました。なぜL-アミノ酸が選択されて、 D-アミノ酸が排除されたのか、その理由はわかっておらず生命の起源をめぐる最大 の謎の一つとなっています。しかし、アミノ酸を部品として構成しているタンパク質 (アミノ酸が100以上結合してできた高分子物質で生物の体の構成成分)はL-型 かD-型かの片手構造でなければならない必然性があるのです。L-型とD-型の混合 物からなるタンパク質ではきちんとした立体構造を保持できず、タンパク質として様 々な機能を発揮することができないからです。

このように地球はL-アミノ酸から 構成されている生物が存在している惑星ですが、別の惑星にはちょうど鏡に映したよ うにD-アミノ酸から成る生物が存在するかもしれません。私たちがD-型人間と遭遇 する可能性も否定はできません。私たちが彼らと出会えば、同じように知的会話を楽 しむことが出来るでしょう。しかし、D-型人間と出会っても互いに食料を共有する こともできないし(D-型人間はD-型食料しか消化吸収できない)、人種が交じりあ うことはできないのです。ともあれ、我々の生物界ではL-アミノ酸という厳格な片 手構造の世界であることで生命活動が延々と育まれてきたのですから、D-アミノ酸 は完全にこの地球上の生物から排除されていると考えるのがこれまでの常識でした。 しかし、近年、種々の組織(眼の水晶体、歯、脳、動脈、赤血球膜、皮膚)で老化と ともにD−アミノ酸が増加することが明らかとなってきたのです。眼の水晶体や脳で はD−アミノ酸が白内障、アルツハイマー病と関連しているという事が示唆されてい ます。私たちは水晶体の主要構成成分であるαークリスタリン中でアスパラギン酸と いうアミノ酸がL−体からD−体へと変化している特別の部位が2カ所あることを発 見し、この反応の機構を明らかにしました。すなわち、図1で示すようにアスパラギ ン酸はイミド体を経由し、イミド上でL−体からD−体へと変換し、開環時に異性化 が生じて隣のアミノ酸との結合が通常とは異なる結合(β結合)をすることが明らか となりました。こうなるとαークリスタリンの高次構造は正常な状態と大きく異なっ てきます。水晶体はαークリスタリン同士が会合して分子量100万位の大きな会合体 をつくり、これらの分子が整然とした構造を保つことによりレンズとしての機能を果 たすのですが、元になるαークリスタリンに上述のような構造の乱れが生じると当然 ながら会合体も高次構造に乱れが生じタンパク質の不溶化、凝集が起こります。私た ちはこれが白内障の一因になると考ています。タンパク質中のアスパラギン酸のD− 体への変換のしやすさは上述のイミドの形成のしやすさに依存しています。隣のアミ ノ酸やタンパク質の高次構造に影響されます。このような変化は誕生と同時に始ま り、30代の水晶体では既に上述の特定部位のD−アスパラギン酸は40%強まで達して います。水晶体は代謝がないのでさらにこのような異常アミノ酸は老化と共に蓄積さ れ、80代に至ると、この特定部位では正常なアスパラギン酸残基は半分もないと言う ことがわかりました。  このようなタンパク質中での特定部位のD−アミノ酸を発見 するにはタンパク質の精製、タンパク質の酵素処理、2次元電気泳動、逆相クロマト グラフィー、質量分析(TOF-MS),アミノ酸配列分析等の最新の技術を駆使して行って います。また、D−アミノ酸の分析では当該分野をリードしてタンパク質中での微量 D−アミノ酸分析(pico mol level)を行っています。 最近、私たちは老化した皮膚にも水晶体と同様にD-アスパラギン酸、βーアスパラギ ン酸が存在していることを発見し、特に紫外線被爆部に顕著にこの反応が生じている ことを発見しました。この結果からD-βーアスパラギン酸を環境ストレスマーカーと して使用できる可能性も出てきました。他の老化組織でもD−アミノ酸が普遍的に存 在するかもしれません。D−アミノ酸やβーアミノ酸を老化あるいは環境変化の1つ の有効な指標として捉え、より広範なタンパク質化学的研究へと広げてゆきたいと思 っています。又、どのようにしたらタンパク質中でのD−アミノ酸やβーアミノ酸の 生成を止められるか?生成されたこれらのアミノ酸を生体が排除する修復機構はない のか?等々、未解決の問題がありますが、これらの問題を解決し、白内障の予防、治 療の道を拓くことが私たちの夢です。